| 2008/12/14 町田さんへ 普段よくお会いしているのですが、手紙というカタチで,話の返事を書く事になかなか時間がとれなくて本当にすいませんでした。遅ればせながら前回の手紙の返事を書きたいと思います。 前回の話のテーマは道具でしたね。 僕にとって道具とは手の延長であり意思の延長です。 本来、道具とは自分がやりたい作業のために 自分で工夫して作るのが本当だと思います。 僕自身も簡単な物は作りますがほとんどの物は, やはり買った物を使っています。 でも多くの人が,自分の感覚にフィットするように 工夫して改良したり自分なりの使い方を考えたりします。 町田さんが言われた様に本来道具には、 その物が持っている性質やそれぞれの特長があります。 現代の一般的な道具は誰でもが簡単に使えるように 作られていますが、その誰でもと言う相手が見えない物に 向かって作っているので,その性質のズレが生まれるのだと思います。 昔は道具を自分で作る人が多かったのではないでしょうか。 また作ってもらうにしても、頼む人が使い方に応じて 細かくリクエストしたりして同じ道具でもそれぞれ少しずつ 違っていたのだと思います。 結局の所、手作りの道具が多かったのではないでしょうか。 そうする事で一番大切な感覚のズレが起きなかったのだと思います。 いろんな物を大量に作る事で,人の意思と物の意思が逆転して 人が物に合わせると言うそういう時代になってしまったのではないでしょうか。 次はパワーの問題ですね。 現代の道具は電動であったりエンジンであったりいろんな物があります。 それぞれ使い方によっては,すばらしい仕事をします。 ですが、一歩間違えれば大変な事にもなります。 自分の身体能力や感覚を超えるパワーがあるからです。 自分の身体感覚に合った道具を使う事が本当に大切なのではないでしょうか。 ですから,その人の為にその物を作る,その人に合った物を使う そういうシンプルな事が、一番大事なこころを大切にする事につながるのだと思います。 すべては、こころですから、、、、、。 僕の家具作りのベストなやり方は、人と場所を見てから物を作るという事です。 そのやり方を基本にこれからも『家の道具』を作って行きたいと思います。 本当に返事が遅くなってしまいすいませんでした。 高松邸も無事完成して素敵な食事会にも何回か出席させてもらい本当にありがたいです。 これからもどんどん、すばらしい空間を作って行きましょう。 PS 家プロジェクト2も進行中ですね とても楽しみにしています。 くれぐれもけがの無い様に頑張って下さいね。 それではまた,,,,,,。 高山より |
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| 2008/2/17 高山英樹さんへ 返事が遅くなってしまいました。気がつけばもう旧正月も過ぎてしまいました。今年は2月7日だったようです。前回、月、の話があったのでこじつけのようですが、新月、に引っ張られるように新たな気持ちで書き始めています。 先日、私の家の木材を高山さんにも一緒に刻んでいただきました。もともと高山さんには木工作家として新しい家の家具製作に関わっていただこうと思っていたのですが、ひょんなことから刻みの一部をお手伝いいただくことになりました。ありがとうございました。 高松邸は基礎工事を無事に終えて、刻みの段階に入っております。刻みが始まればあっというまに棟上げ式を迎えることになります。私の家は軸組ではなく、木材を積み上げる校倉造りのような構法ですので、刻む量が多く、簡単に棟上げとはなりません。どちらにしても、それぞれ私にとっては大切な仕事です。今年は春先から二棟もの棟上げがあって嬉しい限りです。 今回、自分の家を建てるにあたって、いつも一緒に仕事をしている工務店の大工さんとではなく、あえて若いフリーの大工さんと組みました。私も一緒に材を刻みたかったというのがひとつの理由ですが、彼の手が、慣れていない、ということがもっとも大切な理由でした。慣れ、というのは経験や実績も関係してくるのかと思いますが、じつはそれはあまり関係のないことのような気もするのです。つまり、いくら実績や経験がなくても慣れたふうに仕事をするひともいれば、実績や経験があっても決して慣れたふうに仕事をしないひともいます。そのひとの性質でしょうか。そういう意味で、入沢工務店の棟梁は慣れたような仕事をしませんが、いかんせん、あまりにも実績と経験があるために、いつも私の思考が仕事のスピードについていけません。今回はゆっくりと仕事がしたかったということもあり、あえて若い大工さんを指名しました。私の家に関して私は建主でもあるわけですから、少しだけ贅沢をさせていただきます。 ひとの性質ということを書きましたが、道具、はそのひとの性質にどのような影響を与えるでしょうか。性質、は、道具、よりも先にあるので、おそらく道具はそのひとの性質のある側面を、強化、もしくは、加速させる、といったほうが、影響、というよりもわかりいいかもしれません。道具はむかしから人間の目的のためにありました。道具となったそのものは、人間の目的のために存在しているとは限りませんが、それが生活のためか宗教のためかは別にして、目的を遂行するために利用されたのであれば、つまり人間の目的のためにそのものは道具としてあるわけです。しかし、おそらく自分だけのことではないと思いますが、あるものを道具として利用すると、道具自体に、なにか目的を遂行する意志のようなものが内在しているのではないかと思えてくることがあります。チェンソーを手にすると、木を伐る意志がふつふつと芽生えてくるのですが、それが自分の内部から生じているのか、道具から生じているのか、わからなくなることがあります。例えば、光が不足して力なく杉に寄りかかるように育っている雑木があったとします。もし、自分自身にその雑木を残して別の場所に移植するかを問うたとしたら、移植する方を9割9分の確率で選択をしていたとしても、チェンソーを手にしていると、その9割9分という数字が頼りなく感じることがあるのです。実際に私は現在の敷地をつくるにあたって百本ほどの木を伐りましたが、ついつい、というか、容赦なくか細い雑木を一緒に切り倒してしまいます。 先日、こういうことがありました。車で片側一車線の道を走っていて、私の前後にも車が走っていましたが、側道におばあさんの姿があったんです。座って沿道の草木をいじっているのかと思って通り過ぎたんです。ところが、自分が目にしたイメージが頭に残っていますから、それを丁寧に見直すんですね、車を前進させながら、頭の中で、すると、どうやらおばあさんは草木をいじっているのではなく、つまずいて転んでいたということに気がつくわけです。バッグのようなものが、その、草木の中に放り投げられていたので。しかし、そう思ったときには車はずっと行き過ぎているわけです。反対車線にも車は走っているし、Uターンは車幅が狭いので簡単にはできない、怪我をしているようでもないから、と思っている間に、車はさらに数百メートルも先にあるわけです。車は運動する、主に前進する道具ですから、ある意味仕方がないわけですが、これが、車というスケール、というか、車のもっている前進する意志なのでしょうか、徒歩であれば、おそらくほとんどの人が立ち止まって声をかけるでしょう。おばあちゃんを助け起こさなかった言い訳をするつもりはありませんが、しかし、車というスケールでは、こうなってしまう可能性があるわけですね、恥ずかしいことに。この道具の持つスケール、というか、意志に無自覚ではいけないと思うわけなんですが。つまり、道具を使うことによって、強化、もしくは、加速するひとの性質の側面とは、9割9分のほうとは限らず、1分の部分が強化、もしくは、加速させられることがあるということです。 もちろん、自分の性質などわかっているようでいてわかったものではありませんから、つまり9割9分も1分もわかったものではないのですが。 自分の家を建てる敷地をつくった際に、知り合いの作家さんから購入した古いユンボを使ったのですが、使い始めて半年以上経つので、だいぶ、こう、自分の身体の延長のような感じで操作ができるわけです。案外、デリケートに土をほじったりできるようになったのですが、ユンボから降りると、体がすっかり勘違いしていることに気がつくわけです。勘違いをしないように、30分に一度はエンジンを切って、スコップで土をほじくるようにしているのですが、やっぱり30分もユンボを動かしていると、降りた瞬間に体が勘違いしているんです。あたかも自分にそれだけの土を動かせる能力があるかのように。言語がなにかを可能にすることもあるかと思いますが、言語が人の行動や思考を限定することも多々あります。それと同じように、道具は人に恩恵を与えてきましたが、人からなにかを奪ってもきたのです。先ほどの話に則していうと、1分の部分が強化されてしまった場合、多くのものを含む9割9分の存在が押しやられてしまいます。逆に、そうなってはじめて9割9分のあり方が問われるといってもいいかもしれませんが。 高山さんは家具をつくる上で使用する道具をかなり限定していますね。もちろん、昔の職人さんに比べれば、遥かに便利な道具を手にしているとは思いますが、便利なものを極力使わないで、基本的には切って打って、って感じで家具を作ります。私も、できるだけ初期段階の図面は手描きで行うようにしていますが、どうしても、コンピューターに引きずられてしまいます。それでも道具を使う際には、大切な感覚をやすやすと失ってたまるか、という抵抗を常々感じています。今回、自分の家を高田大工を始めいろいろな人に助けられながらも自分で建築しようと思ったのは、例えば山口棟梁が「どんなに高くても木の上に乗っているんだったら、怖くはないよ」といったときの棟梁の感覚を共有したいと思ったからです。 人間は、人間にとって有用なものだけを知覚しているといわれています。つまり、私たちの世界は、人間にとって都合のよいものの姿をしています。それでも、ひとがみている世界は決して画一ではありません。優れた画家の目や優れた職人の目が見る世界はどんな姿をしているのでしょう。そしてどんな仕事をしている人でも、その仕事に慣れてはいけないような気がします。慣れた人の目は、世界を固く、不自由なものにしてしまいます。家はいろいろな道具が使われて建っていくものですが、結局それを使うのはひとの手です。家に限りません。できれば道具は、世界を柔らかく、自由なものにするために役立つものであってほしいと思います。 最初にも書きましたが、近々、高松邸の棟上げ式が行われます。簡略的に執り行うつもりですが、土木の親方に民謡を披露してもらおうと思っています。家を建てる行為の中には時間が詰まっています。棟上げ式は、そういった綿々と続く時間と、施主のもっている現代的な時間とがバチンと合わさる儀式のようにも思えます。この先何年も家を守っていく棟が宙を舞う様子に何かを感じないわけにはいきません。宙を舞っているのは一瞬です。宙に舞っているときだけ、材はどの時間にも属さないかのように思われます。 |
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| 2007/11/19 町田さんへ お久しぶりです。 町田さんが話していた、「時間」と「音」について、少し書きたいと思います。 今、僕が一年で一番好きな音色が聞ける季節なんです。それは、秋の虫の音です。(少し、季節が移ってしまいましたが、この文章を書き始めたのはそういう時期でした)私の家の南側は一面田んぼで、背中には杉の山を背負っています。幹線道路からは距離があり、車が走る音はほとんどしません。静かですよ。秋の虫の音はそれこそ、何百年何千年も前の人々も同じように聞いていたはずです。そしてその人達がまた、さらに何百年何千年も前の人々の事を思わせるとても不思議な感覚にさせられる音色だと、虫の音を聞くといつも思うのです。いろいろ考えながら、その虫の声を聞くたびに幸せな気分になってしまうのです。 時間の事について感じる事は、目で見る時間と耳で聞く(感じる)時間の感覚の違いがあるということです。そのふたつの違いを僕なりに大きく分けて、分かりやすく説明する為に、太陽暦と太陰暦の話をしたいと思います。 太陽暦はすなわち光(目)で感じる、圧倒的な感覚時間(西洋的)だと思うんです。それに比べて、太陰暦は月(東洋的)ですから光というよりは、闇です。すなわち視覚に頼れない、耳(聞く、感じる)の感覚です。日本は古くから太陰暦で生活していました。それはやはり月の重力の影響で潮の満ち引きや地球上の水分が動かされているからかもしれませんね、農業や漁業のように、昔から自然と共に暮らしていた人々の時間は今でも太陰暦で生活しているみたいです。農家の人たちは、旧暦のカレンダー(こよみ)で、今でも種まきや竹や木の伐採やいろんな行事を行っています。 面白いのが、「こよみ」でね、例えば啓蟄といって大地が暖まって冬眠していた虫が出てくるっていう日があるんだけど、その虫が出てくるだろうってことで、それまで家の中に閉じこもっていた、農家の人たちがぱーあっと外に出てくるわけ。僕の家からだと本当にそういうのが面白いくらい観察できて、虫じゃなくって人が出てきてるって、こよみどおりでおかしくって。人が出てくると、田んぼの準備が進んで、田んぼに水が張られたりして、そしたらもう田植えがあって、成長して行くっていう時間が感じられるんだ。これは、人間が主体の時間ではないよね、植物や虫と同じように人間が本来もっている自然時間だね。そんな感じで、こよみの中には自然と共に生きて来た人々のすばらしい知恵がいっぱい詰まっていて、とても楽しいんです。 それが、自然のサイクルとは無関係な社会システムで生活している現代人になっちゃうと、完全に太陽暦(自然時間ではない)で生活している。その事が、やはり今の環境問題やこころの問題にも何らかの影響があるのかもしれないね。僕が思うには、日本の風土や日本人のこころの感覚には、太陰暦の時間感覚があっている様な気がします。もう一度、自然のサイクルにあった東洋的な時間を感じてみるのがよいのではないでしようか。そこに、いろいろな時間に関する事やこれからの生き方のヒントがあるのだと思うのです。 それから家にいると、なんだかすぐお茶の時間になってしまうんです。つい、お茶の時間にしてしまいたくなるような環境なんでしょう、そういう「お茶の時間」っていうのは、それこそ自然の時間なんでしょうね。そういう時間を感じると、やはり幸せな気分になります。職人さんはほとんどきっかりにお茶の時間をもちますが、あれはリズムの問題で、やっぱり時計の時間とは少し違うんだと思います。余談だけれど、自然に近い生活をしていると占いが当たるんです。うちにはテレビはありませんが、時折ラジオをつけていると、星の動きで占う占いの番組が毎朝あって、こう「今日は掃除をするとよいでしょう」とか、「今日はいらいらするので注意しましょう」とかっていっているんですね。それがなんだか、あたることが多いんです。自己暗示じゃないですよ。うちは朝が早いですから、その占いが始まる前に、もう掃除をやっちゃっていたり、すでにイライラしていたりするんですよ。だから不思議だな〜と思うんです。やはり人間も自然の一部だからそういう宇宙全体の動きに左右されるんですね。だから昔の戦国時代とかに、諸葛孔明みたいな軍師(戦略をたてたり、占星術、気象学などあらゆる学問に優れる)がいて、今日はこんな感じの日だから、こういう作戦でという風にやると、おそらく誰しもが自然に近い生活をしていたはずですから、きっと相当な確率で戦略が当たったんだと思います。しかし自然と離れた生活が長くなった現在では、やっぱり人為的に何もかもが行われていますから、いろんな事が複雑になるのかもしれませんね。 町田さんが言っていた「時間」だったり「音」の感覚は、先に言った虫の話やこよみの話のように太陰暦の闇を聞く(感じる)感覚が、とても大切な事だと思うんです。あとは、あまり深く考えず一日のうちに、10分でも20分でも自然の事、そのものに意識をグーと持っていく事が本当に大切で、そうする事で見えたり感じたりする事がいっぱいあると思います。そういう事の積み重ねが生活の中での、本当の豊かさと、幸せを与えてくれるのだと思います。 僕の家はお風呂が家の離れにあるので、夜、お風呂から戻る時に、毎回夜空を見上げて星を見るんです。その度に、「きれいだな〜」と思いながら、やはり昔の人も同じように夜空を見上げて同じ思いをしたんだろうな〜と思うと、とても幸せな気分になるんです。 ところで、町田さんは今自分の家を作るのに、木を伐採したり、ユンボで地面をならしたり、いろいろやっているみたいですね。僕は、その事がこれからの町田さんにとって、とても重要な経験になるのではないかと思っております。木を切る事、ひとつとっても自分でやると、木の事を改めてしっかり考えますよね。そうやってひとつひとつ自分でいろんな事を、確認しながらもう一度、その場所(自然の中の空間)の事や家を建てるという事を、体で感じてほしいですね。なんでも僕に出来る事は協力しますから、がんばってください。 それではまた、宜しくお願いします。 |
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| 2007/10/4 高山さんへ つい先日、施主(高松さん)と地主両者の契約が整いました。ただの山を山林にしたり農地にしたり宅地にしたりするのは人間の勝手だけれども、地目変更のための審査が進んでいる間も、山は山として変わりはしないということは、当たり前です。益子ですから、山といっても緩やかな丘のようなものですが、昔から日本人は少しでも盛り上がっていると、ありがたがって、もしくはおそるおそる何かの名前を付けていたのでしょう、工務店の会長さんに現場敷地向かいの山が「雪解け山」と呼ばれているということを教えていただきました。それを聞いたとき、山林だ、農地だ、宅地だという固い言葉ばかりを使っていたので、正直ほっとしたというか、嬉しい気持ちになりました。私は常々、山を切り崩してコンクリートの土砂を利用する側の立場としての苦しさというか、そういうものを感じているのですが、人間と自然は関わりながら生き延びてきたのだということ、その会長さんの言葉で思い出し、少しだけ慰められたのです。そして、何年も何十年も何百年もの間、人はその山を見て雪が溶けるのを確認し、「ああ春だな」と思っていたのだと思うと、なんだか安心するのです。その山が山林かどうかということよりも、「雪解け山」と呼ばれていることの方が、私にとっては信頼に足りるような気がします。能登にある「モーゼの墓」もそんな山のひとつでしょう。高山さんが、ふと窓の外に目をやって変わらないものに意識を持っていけることが素敵なことだとおっしゃったこと、ますますその通りだと感じるこのごろです。 数年前にイギリス人と日本人のカップルの家を設計する機会がありました。若いカップルでしたので、イギリスに住む親が新築費用を出してくれることになっていたのですが、親は、日本の家屋の資産価値が十年そこらでなくなる、ということを知ると、融資を中止すると言い出しました。それを聞いたとき、たしかに十年後に無価値になるものに融資をする人などいるはずがないと思いました。しかし、今となって考えてみると異なるレベルで、それもまた違うのではないかと思うようになりました。価値がなくなるという考え方は都市的な問題、というかシステムの問題で、おそらく最近の発想なのだと思います。もう少し時代をさかのぼると、そもそも、その若いカップルのような生活者が価値を求めて建物を建てていただろうか、ということです。建物といっても、ほとんどの人は「雨風をしのぐ屋根と壁」という程度の家に住んでいたわけですし、資産価値があるから建てたのではなく、雨風をしのぐ必要があったから建てたはずです。現在だって実はそれに変わりはなく、資産価値があるから買う人はいても、資産価値があるから住む人なんていないような気がします。 日本の住宅の平均寿命は26年そこそこです。2X4の安価な木材でできたアメリカの住宅でさえ44年は生きながらえるのです。融資を中止したクライアントの親が住むイギリスでは、75年の寿命があるといいます。もちろん、簡単に比較はできません。地震を含めて災害の頻度も違うでしょう。そもそも、日本の住宅は朽ちていくことを前提に、建築することを「むすぶ」という感覚で捉えていた過去があります。しかし、問題は、現代のように地震にも火災にも強い住宅でさえ、26年も経つと建替えられる、という事実です。26年ごとに建物が建て替えられるというのは、あまりにも自然に負荷のかかるサイクルです。政治的な原因もあるかと思いますが、おそらく、「時間」の感じ方、扱い方の変化が一番の大きな要因ではないかと思っています。つまり、われわれは共同体の一員として生活をしていましたが、近年、自立した個人として生活するようになったことによって、己の人生を、永遠に循環する世界の一時期という捉え方ではなく、一回限りの完結的な捉え方へと変えたのです。 ルフランの「労働の歴史」を読むと、むかし、ヨーロッパの職人は日が暮れると仕事をしてはいけないというルールがあったそうです。夏でも冬でも日本よりも日が長いですから結構な労働時間なのですが、お日様(世間)に隠れて仕事をしないという職人気質のようなものも影響していたようです。照明器具などないわけですから、生活や労働が自然時間と密接だったといえます。私は、自営業ですから時給では働いておりませんので、世の中のサラリーマンから比べると、「報酬」は「時間」から自由だといってもいいかもしれません。より職人や農家に近いかもしれません。それでも、建築設計という労働はパソコンという消費材に向かっている時間がほとんどになります。パソコンはネットにつながっていて、設備機器や建材、例えば最近でいえば必要性すら疑わしい火災報知器の機種を検索して選んだりします。新しい商品の情報がばんばんと入ってきて、お客さんはあまり理解しませんが、図面を描く時間と同じくらいの時間が検索だけの作業で消費されます。こういった作業に費やされていると、職人や農業に携わる人々とふれあう度に、自分の中で何かが失われていっている、ということに気がつくのです。 はたして何が失われていっているのか。今回の高山さんに対する問いに則して考えると、おそらく二つの意味での「時間」が失われているのです。ひとつは、私が縛られている西洋的な一分六十秒という時間が、設計および検索活動によって単純に失われます。もうひとつ、私が幼児の頃もっていたはずの、自然的な循環する「時間」感覚そのものが失われていきます。確かに、自然と繋がっていたころに感じていたはずの自然時間です。 このふたつの「時間」について考えるために映画の話に戻ってみます。数年前に撮影された小栗康平監督作品『埋もれ木』に美術として参加しました。この映画は、三千年前に火山灰に埋まってしまった木々を取り扱っています。この木々がひょんなことから姿を現し、人々の目にさらされます。現代人が地上だと確信していた世界(地面)の下に、次元の違う別の地底が存在したわけです。そのことは、その地上で生活をしていた人々のあしもとを文字通り揺さぶります。樹齢が数百年から千年になる大木がまるまる地面に埋まっているので、人が木の根元に触れるためには地上から深く潜っていくことになります。地底に足を運ぶ人が見上げる先には、木の先端、そして生活の場である地上があります。地上から地底を見下ろすと、まず木の梢が見え、遥か下に木の根元が見えます。これを階段が結び、人々が行き来をします。先ほども申し上げた、永続的な循環する時間(自然/地底)と一回的な時間(現代/地上)とが交錯します。何が確かで何が不確かなのか、「時間」を鍵に読み解いてもこの映画は面白いかもしれません。 農業や職人の仕事は人間個人が自立したからといって単純に成立する仕事ではありません。気候のことがあったり、自然との関係性の中で成り立つ仕事です。培われた経験や技法があって、そして自然があって初めて仕事として成り立つわけです。スターネットで使用された柱や梁は「埋もれ木」ほどではありませんが、三百年も前のものだと聞きました。棟梁は解体された古い材を扱うとき、当時新しい材としてそれを組み立てた棟梁と会話をするように、ああだこうだいいながら構造を組み直していました。ひとつの現場の中で、三百年前の棟梁が現代の棟梁と関わるわけです。高山さんにお借りしたビデオの中に、ネイティブインディアンが聖地としている岩山が出てきました。その岩は叩くと金属的で高く響く音がするのです。番組では触れられていませんでしたが、そこを訪れるインディアンは遥か昔に同じ場所で同じように岩を叩いていた人と時空を超えて対話をしているに違いない、と思いました。確実にそこに在った、ということと、これからも確実にそこに在る、ということの豊かさをその音色に感じました。その音色に耳を傾けるときに何かが感じられるのかもしれません。高山さんが古い木を叩いて音に耳を傾けるときは、どのようなことを思うのでしょうか。 高山さんの家にはテレビがありませんね。家具を作る作業場は、おそらく日が暮れれば真っ暗でしょう。家周辺は田んぼに囲まれてなにか幻想的な雰囲気があります。家には小学校六年生のそれこそ「自然」児がいます。高山さんは、私とは全く違った時間の感じ方の中、古い材とにらめっこしては組まれていく家具を夢想しているのではないでしょうか。そして作業場を離れて家族と一緒のときも、時計の針の音ではなく、なにかの音色が聴こえているのではないでしょうか。高山さんの生活に漂うような音色に私は私の中の生活で触れたいと日々思いながら過ごしていますが、あしもとに別の地底が存在しているということを感じつつも、残念ながらいまのところ聴こえてくるのは時計の針の音ばかりのようです。 |
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| 2007/8/22 町田さんへ 僕は、高校を卒業してから、能登を出たんだけどね。僕の町には職人が沢山住んでいて、みんな田んぼや畑もやっている、いい環境だったけれども、能登だって日本だから、やっぱり地域の閉鎖性とか、固定観念とか、同じことをやりなさいという、つまり、大きな会社に入って働きなさいとかね、そういう場所でもあった、だから、能登から出たかったんだと思う。でも、自由になった今考えてみると、人が暮らすということでは、すごく理想的な場所だったと思える。能登には自然もあるし。宗教だっていろいろあるけれども、基本的にあそこら辺は浄土真宗の念仏教なわけでね。こう、南無阿弥陀仏と唱えているおばーちゃんがいてさ、それと加賀百万石の豊かな文化があってさ、そういう歴史が静かに続いていて。ものすごく豊かで平和な土地だった。恵まれた環境だったし、多分、おばーちゃんたちは幸せに暮らしていたんだと思うよ。そういう場所なんだけど、やっぱり高校を卒業をすると出たくなっちゃって、東京に出たんだよ。しばらくは洋服の仕事をしていたんだけど、きっとまたその話には、なると思うけど、そのころは日本のシステムというか、そういうものに馴染めないものもあったから、結局、東京も離れて海外にまでいってしまったんだよね。 自分が住んでいたときは能登を閉鎖的だと感じたんだけど、もともとこの辺は、いろいろなものを受け入れていた地域だったはずで。人間の価値観や生活スタイルが単一化してきたのはここ最近のことでさ、どんどんどんどん、人種のみならず、意識なんかも単一化していっちゃったと思うんですよ。能登は、根が朝鮮から入ってきているから、また面白いんだけどね。僕の町には、渡来系のとても古い神社があって、独特なお祭りがあるんですよ。そのせいかもしれないけど、僕の町には大工が多いんです。根拠があるわけじゃないんだけど、僕の町の大工は腕がいいって、ほかの町の人がよく言ってました。この間、金沢城の修復をしたときも、沢山うちの町から行ったみたいなんですけど、それはたぶん大陸からの技術が根にあるからだと思うんですよ。そもそも昔は輪島の輪(わ)は倭人の倭(わ)だったみたいだから、おそらく朝鮮から見た倭人の島ということだったんでしょうね。それから、能登にはモーゼの墓かも知れないと言う小さな山があるんですよ。真偽はともかく、きっとそういう人たちが居たということだと思うんです。だから、地方は閉鎖的で住みにくいっていうのも、メディアの影響とかもあって、最近の人が考えたり感じたことだし、実際に閉鎖的なのだとしたら、それこそ、ここ最近のことなのかもしれないよね。おそらく鎖国をしていた江戸時代にだって、能登には朝鮮との交通は沢山あったはずだし、思った以上に流動していたんじゃないかな。 僕は過去に益子のスターネットで個展を3度ほどやらせてもらったり、建築の仕事にも木工職人として参加しているのですが。個展と建築現場の仕事では、大きく違う所があるんだけど、そのひとつが、施主の顔や空間が実際に見えるか見えないか、ということです。基本的に家具や建具を作るときには、現場の持っている力というか、施主の顔なり人柄なりをとらえることがとても大切なんです。すべてが関係性で成り立っていますから、ところが個展の場合は、もちろんある空間で行われる以上、その空間の影響も受けるけど、ほら、特にスターネットのゾーンには物語があるからね。でも求めてもらって置かれる場所は作っている段階ではわからないわけだから。全て仮想の空間と人物を相手にしないとならない。そういう違いがあるんです。ただ、その相手にしている仮想の空間や人物というのは、本当に難しいんです。個人的には根のあるものを作りたいのだけれども、一般的な話にしちゃうと、都市の人なんかは根のあるものだと、かえって使いにくい様な気がするんですよ。どこで作られて、どの人が作ったというのがわかると、生活に合わせにくいんじゃないですかね。もともと僕の作品を見に来て下さって、いきなり買う人は少ないですね。つまり、僕と話したことがある人や会ったことがある人、過去に僕の作品にふれた事がある人でないと、なかなか、初めて見て「買う」ということにはならないみたいです。ちょと、根っこが強すぎるのかもしれないですね。建築の仕事のときは、ぐっと空間を作る方へシフトするのだけれども、個展のときは、もっと素材そのものに向かわなくてはならない様な気がします。前回の鏡と古材、今回のガラスと古材というのは、そんな事から生まれたのかもしれませんね。鏡もガラスも工業製品だから、そういう意味では僕が使う古材を和らげてくれるのかもしれないですね。まだまだ探ってみたいことは色々あります、素材と素材の関係とかをね。 益子には、自然な流れで住むようになったわけだけど、僕が益子に来たのは、木工作家になる為にというより、自分の想い描いている生活をする為に、自分で出来る事の延長線上に木工があった訳です。そういう意味では、やっぱり作る場所っていうのはすごく大切です。そもそも、作る場所がないと、作る気にならないし、僕もちゃんと作りはじめたのは、自分の家と作業場を持ってからです。もしかしたら他にもたくさんいい場所があったのかもしれないけど、益子にたどりついて本当に良かったと思います。自然とのバランスもいいし、農業もあるし、いい場所なんですよ、本当に。これもなにかの縁ですからね。建築も、何度も何度も現場に立って見て感じて設計されるべきでしょう?それが一番大事なんじゃないかな。僕の家で一番好きなのはね、窓の外に見える田んぼや森や林の稜線だったり、そういう何百年も変わらない風景があることかな。変わらないものに意識を持っていける環境にいる事は本当に素敵なことだからね。 |
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| 2007/7/21 高山さんへ 高山さんとは、いくつか現場を共有させていただきましたが、その度にいろいろなことを教わりました。私が一番覚えているのは、高山さんがトリートメント(と呼ばれていましたね)した一本の柱をとある竣工した現場でみたときの感覚です。実は、その一本の柱を見たときに私はドキッとしたのです。柱というのは建物を支える構造材です。支柱という言葉の通り、人を保護する屋根を支えているわけです。しかし、高山さんが手を加えた柱というのは、それに関わる人間の精神をも支えているというか、文化とか風土とかそういうものも支えている、そういう感じがしたのです。 建築家というのは、日本では明治に作られた職業です。近代社会を導入するために、まず形が取り入れられたんですね。鹿鳴館で舞踏会を催したいから、といっても言い過ぎではない。伊藤博文や井上馨など当時の政治家は、近代人になるため狂ったようにダンスの修練を積んだと聞きますから、冗談では終わらない話です。つまり、建築家というと、まずは西欧近代的な生活をするための箱をつくる人のことですが、それは明治の頃からさほど変わっていないかもしれません。学校で教育しているのはほとんど無条件でモダニズム建築ですし、実際に私もそういう教育を受けました。六年ほど前に、幸か不幸か最初の住宅を設計する機会を得たのですが、高山さんもご存知だと思いますが、フラットルーフのモダンな住宅です。設計当初、私はそれでも悩んでいたのです。その悩みというのは、今とは全く質が違う悩みなのですが、いかに進歩的なデザインをすることができるか、というものでした。 この悩みが、個人的には間違ったものであるということにはすぐに気がつきました。要因は幾つもありますが、その住宅そのものの姿がひとつです。そして、もっとも大きいのが、小栗康平監督の諸映画との出会いです。建物を設計するもっと前から作品は観ていたのですが、ひとつ自分で住宅を建てた後に、たくさん入ってくるものがあったんです。もちろん一言では語れませんが、監督の映画は西欧近代社会で生まれた映画というものを問い直し、もしかりに日本(アジア)で映画が生まれていたとしたら、という根源的なところから出発し、撮られたものです。そのことがわかったときに、私は自分のことが恥ずかしく感じられたのです。映画と建築のおかれている状況は似ていませんか?沢山の映画を撮る人ではありませんが、最初の作品が撮られてから三十年近くも経ちます。監督の仕事は、作品を追うごとにどんどん深められていっています。そのどれもが、沢山の示唆を含んだ映画です。私は大学院を卒業してヨーロッパを放浪してから自分の事務所をすぐに立ち上げますので、ほとんど独学ですが、建築のほとんどを小栗映画に教わったといってもいいでしょう。 高山さんへの問いに戻ります。おそらく、その一本の柱というのは、誤解があるかもしれませんが、高山さんの力だけではできなかったかもしれない。前の住み手がいて、新しい住み手がいて、前の棟梁がいて、今回の棟梁がいて、環境があって。そこには、自由で自立した個人、ということはあからさまには見えてこないですし、進歩、という言葉からも無縁だと思えました。それでも高山さんを抜かしては考えられなかったでしょう。そして、その柱を見たときに、私は、家はその柱の延長にあるべきではないか、と考えたのです。 木工の歴史を私は知りません。もちろん生活様式が変化していますから、生活に応じた家具のあり方も変化しているでしょうけれども、手仕事、職ということであれば中世には確立されていたのではないでしょうか。 近代社会は、素晴らしき未来があるということを前提にして成立しています。自由で自立した個人は、その実現のために常に邁進する使命を背負わされています。進歩が日々義務づけられているわけですが、たかだか歴史の中で五十年だの百年だのの間に培われてきたそういう習慣は、本当に信頼に足りるのでしょうか?できれば、この点を、建築家よりも長い長い時間の流れの中に身を置いている職人である高山さんの話を聞いてみたいと思いました。 今回、高山さんのご友人でもある高松さんの新築工事を受け持ったわけで、できればこの機会に高山さんとの交わりをさらに深める事によって、新築の建物をその一本の柱に近づけることができるのではないか、と考えたわけです。もちろん、一回限りの建築でどこまでも深く沈み込もうなどとは考えておりませんが、とにかく探っていきたいと思いました。そういう機会が訪れたことを幸運に思っています。お返事、楽しみにしております。 |
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